リアルグラフへの違和感 #補足

リアルグラフへの違和感 (http://d.hatena.ne.jp/naoya/20120605/1338873268) ということを書いたら思った以上に反応がたくさんあっておもしろかった。数日経って冷静になってみると、もしかしたら居酒屋で飲みながら話す程度のことだったかもしれないと少し恥ずかしく思いつつも、だからこそ、それぞれ思っていることが反応として返ってきたのかもねと思うのであった。そりゃあ、poem タグもつくわけです。

実名匿名のような話題はまあ繰り返し話題になってはきたけど、facebook の話に関してひとつこれまでと話が違うのは、実名性と言われてきたもの、それが現実のものになったということじゃないかなと思います。

実名がいいんだ、いやそれじゃだめだという話があったときに、とはいえある時点まではその「実名インターネット」なるものが具体的に存在していなかったから、その対するもの・・・匿名やオープンウェブ的なもの、を相対的にみることが意外と難しかった。それが facebook が世の中にひろまって、ある意味、ウェブを相対化することができた・・・ということじゃないかなと思います。

何かウェブで課題があったとき「これこれこうだからやっぱり実名 (現実のアイデンティティの担保) が必要だ」という声でまだみぬ実名インターネットを逃げ場にすることもできたけど、いまは facebook があるから、「それって facebook のことだけどそれで解決している?」と実感を基に考えればいい。ここはだいぶ、いままでの話とは事情が変わった。

それで、以前は「このままウェブは facebook で覆われて、到達点を迎えるのかな」という気持ちがあって、なぜか暗い気持ちになっていた。でも実際に覆われたけれども、思ったより facebook 的なウェブが有効に機能するのは限られた範囲だったことがそれこそ実感をもってわかったのがここ1年くらいの話だった。それが前のエントリのはなし。結局 TwitterTumblrはてなID的なものは今後も残るし、新しくそういうものを作ることだってまったく終わってない、むしろそれらが相対化された今からが始まりだ、そんな楽観的な気分になってきてそれは良かったんです。

もうひとつ。炎上がどうのこうのとのっけから書いたので実名匿名アイデンティティ議論に、自分も含め話がいってしまったけど、どちらかといえば自分の関心はコンテンツの内容を規定する背景あるいはコンテキストとして、ソーシャルグラフがどういう影響を与えているかという方に対してがより強い。匿名性が強い場合に何が生み出されるかというのは2ちゃんねるはてな匿名ダイアリー、あるいは発言小町とか何でもいいんだけど、それなりには見てきたなと思っていた。じゃあ、その現実のアイデンティティが強い場合は? というのがわからないでいたけど、facebook でそれも相対化された気がした。(いやまあ、mixi とかもそうだったよという声もあるのかもしれないけど、mixi はそんなにオープンウェブ空間というのか blog や Twitter 的な世界とは分離されたところだったから・・・と言い訳してお茶を濁そう。)

少し前に The Filter Bubble (邦訳『閉じこもるインターネット』) という本を読んで、facebookGoogle によってパーソナライズ化されたウェブは「見たいものだけを見るのがシステム的にも加速される」アーキテクチャ、それはかつてのウェブじゃない、もう終わりだとそんな論調に感化された。Tim Barners Lee も、氏の場合よりアーキテクチャ的な意味で「ウェブを殺すな」と声をあげたりしていた (Long Live the Web: A Call for Continued Open Standards and Neutrality : http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=long-live-the-web) 。そこかしこで、そういう古き良きあるいは悪しきインターネットが失われる危機感についての語りを聞く機会が増えてきて、なんか少し暗い気持ちになって「ウェブは残念」とか使い古された台詞を吐いたりしてみたりしていた。でもそうじゃない、単に相対化されたっていうだけの話なんじゃないか。残念とか言うのはもうよそう。そういう風に思って、まだまだウェブについて論じたり、ウェブサービスを作ったりしてみてもいいだろう、そんなことを思ったわけです・・・というので最後はちゃんとウェブの作法にのっとって感情論で締めてみようと思います。

終わり。