つぶやき - Web 2.0 の世界とデジタル・デバイド

Web 2.0 で重要とされる考え方は色々あって(yohei-y:weblog: REST -> AtomPP -> blog -> Permalink -> RSS/Atom -> Remixing (Ajax/Microformats/Folksonomy)で図式化されて説明されているのでその辺も参照)、そのいくつかはすでに具体的に実現されているものがある。REST的な考え方、Permalink、フィードによるメタデータの syndication、Webservices APItagging による Folksonomymicroformats、user script (GreasemonkeyTrixieTurnabout etc..) による Content Remixing... などなど。

つらつらと眺めてみると、そのうちの幾つかをのぞき、いまのところ実現されている手段はテクノロジ色の濃いい物が多い。Web 2.0 という世界について語りはじめられたのがついこの頃だから、まだその辺りに関心があるのはイノベーターやアーリーアダプターな人たちなので至極当然な話。(ソーシャルブックマークのエントリーに偏りがあるというのはこの辺とモロに関係している。) API の開放、user script、taggingなんかはその代表格で、それらがもたらす世界というのを把握しながら使いこなせている人というのは、インターネットの世界全体から見たらほんの一部の人たちだけ。

現時点ではそれで十分だし、まだしばらくそういう流れなんだとは思う。その一方で PermalinkRSS フィードは、blog がうまくそれらの下地になってくれたおかげで、その効果や利点などを意識せずとも、インターネット上に浸透していっているように見える。

Remix や Folksonomy という考え方はすばらしいのだけど、それらを実現する手段としてよりシームレスなものっていうのは一体何なんだろう。使い手がそれらを意識することなしに、その恩恵を得られるもの。自分の両親が blog を使いはじめて整えられたアーキテクチャでウェブサイトを構築し、RSSAtom でシンジケーションするということはもしかしたらありえるかもしれないけど、Greasemonkey で Remix して tagging で情報をうまく整理するなんてことはどう考えてもあり得ない。

と、考えると、これらの世界が実現していくためには今とは違った手段が必要になってくるだろうし、そういった手段が出てこなかった概念はいずれ廃れる、あるいはいわゆるデジタル・デバイド(なんか死語っぽいけど)の象徴になるのかもしれない、なんて風にも思う。手段自体がメジャーシーンに拡大しなくても、API によって開発された成果物を使う人、Folksonomy で分類された後の結果だけを見てその恩恵を授かるフォロワーがいたりする、ということもあるので、かならずしも手段のコモディティ化が必須というわけではないのだろうけど。

なんてことを最近考えている。