勉強、学ぶ
先週、サポートのアルバイトスタッフと、プログラミングの話題になった。プログラミングを勉強している、とのことだった。もちろん、自分は「それを続けると良いと思う」ということを言った。
少し前の自分だったら「プログラミングの勉強を続けると良いと思う」という言葉は、嫉妬や羨望、あるいは自己肯定からの言葉だったのではないかと思う。今もそういう部分がないとは言い切れないが、以前とは少し違っているように思う。
このスタッフがプログラムを書けるようになったとして、それが直接仕事に役に立つかどうかは本人次第だと思う。"直接的に役に立つ"という保証はない。
そういうことではない。
何かシステム的なトラブルが起こったとき、自分ではない誰かが何かの操作で困っているとき。プログラムの世界についての知識、慣れ、経験があると、第六感が働くようになる。プログラムのおかしな挙動の、その振る舞いだけを見て、原因がどのあたりにあるか、というのがなんとなく分かるようになる。サーバーが悲鳴を上げたとき、インフラチームのスタッフは、ちょっとした症状だけを見て「ああ、あそこだね」とお互いに確認しあう。経験のない人から見ると、超能力かと思う。
プログラミングを知る、ということが、その人にとっての物の見え方を変える。
このところ、ちょっとした興味から物理の本を良く読むようになった。自然科学の本を読むと、世界を見る目が変わる。ガスコンロに火をつける。火は青い光を発する。「ああ、これは電子がエネルギーをもらって励起して電磁波を発生させているのか」などと思う。
空間は連続ではない。空間を細かく細かく区切っていくと、これ以上細かくできない、という単位になる。時間と空間は区別されない。従って、時間は連続ではない。計算機は人が感知できないスピードで非連続な時間を連続的な時間に見せかける、それとこの世界も同じらしい。近頃の物理学はそんなことまで明らかにした。時間が非連続、そんな見方で見ると、色々なものが違って見える。
物を学ぶということは物を見る目を変える。
しかし私は何も「学者になれ、ノーベル賞を獲れ」と言っているのではありません。若い時に自然科学の知識をある程度習得しておけば、物を見る目も変わり、人生をより豊かにできるし、生活態度にも影響が出てくるものです。これは事実であると信じています。
物を見る目が変わると、人生が豊かになる。生活態度も変わる。
それは、なにもプログラミングに限ったことではない。だから、余暇の時間を何かの学習にあてているという人がいたら、純粋に応援したい。同時に自分もいろんなことを学んでいければ、と思う。
そして優れたアントレプレナーに共通する特徴は、人生のある時期に、たいへんな集中力と気迫で新しい知識を確実に習得しているということです。貪欲なまでに強烈な意志を持って、自ら道を切り開いていく。好奇心旺盛なアントレプレナーたちは、不確実な未来にいかようにも対応できるよう、徹底して「学び続ける意志」を持っているのです。
学び続ける意志は未来を切り開く。梅田さんの言葉。人は変化が怖い。自分も変化が怖い。その変化を受け入れるための精神は、学び続けることによって養われる。