Google Reader終了にまつわるRSSに関しての取材

岡田有花さんに取材いただいたものがさきほど記事になりました。RSSRSSリーダーは「終わる」のかについて。Google Reader の終了発表にまつわる話ここ最近ホットなトピックですね。

この3月、RSSに関連する大きなサービスが相次いで終わりを迎えた。3月5日にTwitterRSSフィードが終了。3月14日にはGoogleが、RSSリーダーGoogle Reader」を終了すると発表した。

 これらの動きを受けてネットでは、RSSについての議論が盛んになっている。「RSSは時代遅れ」「RSSリーダーは終わる」といった論調もある。

 だが、ニフティのブログサービス「ココログ」や、はてなソーシャルブックマークはてなブックマーク」など、RSSに関連するサービスを多く手がけてきたフリーエンジニア伊藤直也さんは、「RSSも、RSSリーダーも終わらない」と話す。

もともと Google Reader 終了のニュースを見て Twitter でぶつぶつ言ってたら、岡田さんからこの件に関するまとめた記事を書きたいので取材させて欲しいという依頼があって・・・という経緯でした。ちまたをみてるとこれでRSSRSSリーダーは終わりだ!というようなやや扇動的な記事もちらほらみかけてもやもやしていたので、ちょうどいいタイミングで取材をいただける感じになりました。実際のところどう思ってるの、というのは記事本体を見てください。

とりあえず岡田さんが、RSSRSSリーダーの区別がついてないところから話が始まり一通り説明しました。ユースケースとしての「RSSリーダー」と、仕様 (フォーマット) としての「RSS」というののいずれの文脈でこの話をするのかで中身がまったく異なってくるということ、で、世間一般では前者のユースケースが減ってきてるから後者も終わりみたいな紐づけをされることもあるようだけど、そうではないということ。その前者も、よりよい代替となる手段がほかに出てこない限りはゼロにはならないということ・・・などなどの話をしました。

RSS はウェブ上において空気のように使われるべきだし、話題になった2000年代前半のブログの頃から結構時間が経って、望まれたとおり空気のように使われるようになったのでこうしてユースケースと仕様の両者がごっちゃになって議論されることは、それほど予想外のことではないのですけどね。それ単体ではほとんどビジネスにはならなかったので、オワコンだと言いたいきもちもよくわかります。けど、なんでもそうやって因果関係をみつけて時代の必然みたいな形で語ろうとすると間違っちゃうかな、とはちょっと思いました。

個人的には Google Reader の終了はすばらしいニュースだ:Marco Arment | maclalala2 が言っているように、これを機に既存のRSSリーダーの分野を見直したような新しいプロダクトやサービスとかがでてきて、そういう古いユースケースを置き換えていくみたいなのが進んでいくと楽しい、未来感あるねえと思っています。

で、全然関係ないけど以下を引用しておこう。吉本隆明の『ひとり 15歳の寺子屋』という本から。夏目漱石が大学だったかな、を留年して一年くらいぶらぶらしてた時期があったというところからよくそういう自由闊達な時間があったから漱石はあんな作品を生み出せたんだ・・・みたいに分析したがる向きが多いけどそうじゃねえよって老黄忠が言う場面ですな。

だからといって、「そのハメをはずした一年があったからこそ、漱石は人の気持ちがわかる立派な小説家になりました」みたいなお決まりなことは、僕にはとうていいえません。

「こうしたから、こうなった」なんて、何かを学んだ気になってると人生まちがっちゃう。そんなふうに原因と結果が安易に結びつくことは、現実にはまずないんだって思ってた方がいい。むしろ「一年くらい、ハメはずしたからって、人生そんなに変わりゃしねえよ」っていった方がいいくらいです。