産経新聞の成果主義手取り2万円という記事を見て

営業成績によって増減する給与制度で、六月の手取り額が約二万二千円となった富士火災海上保険(東京)の男性社員(52)が十五日、生存権を定めた憲法に違反するなどとして、三??五月の平均給与約二十一万九千円などの支払いを求める仮処分を東京地裁に申し立てた。

朝起きてウェブの巡回をはじめてみたところ、このニュースがはてなブックマーク人気エントリーにあがっていました。

以前JRの脱線事故が起こった際、事故現場付近にいたJR社員が救助にはいかずにそれぞれの普段通りの業務に就いた、というニュースがあったのはみなさんご存知のことかと思います。ニュースの記事内容が「救助にいかないで普通に仕事してるとは何事か」みたいな論調だったのと、事故を起こしてしまったJRという企業に対して事故に遭遇してしまったのは個人という関係もあってか、JR側が非難にさらされた。その非難の多くは感情的なものが多かった。でも後日に、この辺とかこの辺とかで、いやいやちょっと待て、その報道はおかしいでしょ、という話が挙がってきて議論の状況が一変した。なんだかそのときのことを思い出しました。

こういう企業対個人のニュースには、個人に同情した感情的な意見が集まりやすい。いや、僕もJRのニュースを読んだ当初は、後に展開される報道の是非みたいなところまでは全く考えが及ばずに、なんで救助活動にいかなかったんだろうなあと思ってたんです。でもそこで一歩とはいわず三歩ぐらい引いて実際の現場がどうだったか、と冷静に考えてみると違った見方になるんだというのが良く分かって、反省させられました。

もとい、

はてなブックマーックのコメントを閲覧していると個人側に立ったコメントが多かったのだけど、もう少し色々見てみたいと思って含む日記も色々見てみた。多くは企業暴力だ、この額じゃ生活もできないひどい、といったものだったのですが、別の見方をしている方も何人かいて、それらを読んでみるともう少し客観的な立場でこのニュースを消化できるかも、と感じました。

まずは個人ではなくやや企業側に立ってみた場合に、

てか、2万じゃなくて5万でも7万でも「ええっ!?」って思いますよね? でも訴えたのはこの人だけで、それに3-5月の平均が22万で6月は2万て、会社との間でなにかあったんじゃないの?って考えてしまうのですけれど。

というように、成果主義がどうとかいうよりもこの個人と会社の間で何かあったんじゃないか、という見方もできます。次、日本は資本主義なのだから...という見方でみてた場合。

私は以前日本でも最大規模に近い企業の傘下で仕事をしていた事があるけれど、「この会社の給与、時給換算にすると安いよねー」「コンビニでバイトしてるほうが給与良いよー」とか言う会話を耳にするたびに毎月決まった金額のお金を能力とは無関係に支給して貰える事がどれだけ有り難いか理解出来ていない人が多いと思っていた。
日本は社会主義ではなく、資本主義の国だ。

能力のある人が高いお金を貰い、能力のない人間はお金を貰えない。これが自然なあり方ではないだろうか。どんな会社でも入社すればあとは会社が面倒を見てくれる、そんな微温い考えはそろそろ捨てる時期に来ているのではないかと思うが、どうだろう。

僕は企業の経営側にいる人間だったこともあってか、どちらかというとこの id:ululun さんと同じような感想を抱きました。(だから、僕とは違う感想を持ったひとが多いのに興味が沸いて、いろいろ見てみた、ということなんだけども。)

一方、個人側に立ってもう少し冷静に見ている人。

50代じゃ文句があっても転職すらできないだろうから恥を偲んで裁判に訴えるしかなかった訳だ。2chの板では成果主義という名のもとに賃金カットしているんじゃないかという見解を示す人もいるが確かにそんな感じに見えなくもない。

訴えにでるしかなかったんじゃないか、という話。また、成果主義という名目の賃金カット手段なんじゃないのか、という話。なるほど、そう言われてみるとそんな気もしてきます。

それから成果主義をどうこの会社が利用しているか、という視点に立った言及もありました。

個人の売上高を即給料に反映させるのならば、それは企業の業績変動リスクに対するヘッジとして「成果主義」を利用しているだけです。
そのあたりを明らかにして欲しい。

どの立場にたって考えるか、またどの視点に立って考えるかで物事まったく違う見方になりますね。ということで、この短いニュースの中からすべてを知るのは難しいし、JR事故のとき同様、これだけで判断しようとするのは危険かもなと改めて思いました。