技術系の雑誌、書籍を書くこと

今日は技術評論社の方が取材に来てくれました。人生において、自分の話をひたすら1時間なり2時間なり聞いてもらえるということは、実はそんなになくって、こういう取材のときぐらい。よく考えてみるととても非日常的なことです。自分の話を聞いてもらえる、というのは楽しいものです。

余談で、雑誌や書籍に記事を書くことについても話をしました。

僕は大学の頃、計算機を専門にしていない学部に所属していたこともあって、計算機関連の知識はほぼ独学で、雑誌や書籍、それからインターネットからその多くを学びました。執筆者の方の名前を見るたび、ここにその人の名前が載っているということは、技術者にとって相当なステータスであり喜びなんだろうなあと、憧れていたものです。結城浩さんとか、宮川さんなんかはその憧れの代表格でした。

それは今でも変わりません。僕にとって雑誌や書籍に自分の名前が載るということは、ある種最高の栄誉なんだと思っています。

1年と半年ほど前から、blog を通じてか、僕にも雑誌の記事や書籍を執筆する、という機会をいただけるようになりました。とても幸運なことだと思います。UNIX USER に自分の初めての記事、RSSに関する話が載ったときのことは今でも鮮明に覚えていて。発売日に書店にいって立ち読みしたりしたものです。

そんなわけで、技術系の物を書く、というのに僕はものすごく思い入れがあるのですが、どうやらそういう価値観は珍しいのかもしれないと思わされる場面に近頃遭遇しています。

雑誌の執筆の話をいただいた際に、スケジュールの関係でちょっと難しいというときにはてなの社員に書いてみないか、と聞いてみることがあるのですがあまり良い返事はもらえません。僕だったら有無を言わさずに飛びつくのになあ。技術評論社の方も、そういう飛びつくタイプの人ばっかりだったらどんなに楽なことか、と笑っていました。

確かに技術の話を人にわかりやすく伝える文章を書くのは大変だし、ネタに困って頭を悩ませることもあります。締切に追われ、通常業務とバランスをとりながらそれをやっていくというのもまた、辛いと思うときもあります。でも、僕が結城さんや宮川さんに憧れていたように、自分もそういう風に思われる日が来たらすごく嬉しい、人生において自分の名前がどこかに残るということは、この上ない喜びだ、と思うとなんてことはなく乗り切れるものです。結局、自己顕示欲が強いかどうかなんじゃないかなあとか、技論の方と笑ってお茶を濁しました。

みなさんはどうなんでしょうか、その辺りちょっと聞いてみたいと思う今日この頃です。