宮川さんのポッドキャストと、昔話

第1回はnaoyaさん(@naoya_ito)をゲストに迎えてポッドキャスト、LTSV、RubyMotion、Perlなどについて話しました。

もう昨晩のことになってしまいましたが @miyagawaさんのポッドキャストに出演しました。初めての経験でしたが、喋っている方としてもとても楽しめました。

話の内容的には、LTSV にはじまり RubyMotion、AWS など最近ブログに良く書いていたことと、宮川さん持ち出しネタの Ruby の Topaz、Perl の Moe などなど。1時間ほど、実装系の話をしてみましたがよくよく考えると1時間いろんな技術ネタについてじっくり対話する・・・という機会はあまりないですね。またやりたい。

今何でポッドキャストなのかとかその辺の背景は実際の番組内にあるので、興味のある方はぜひご試聴ください。なお、Ruby の話をいろいろしてたら matz が聴いていた。

ブログをきっかけに

ところで、今回宮川さんポッドキャストの第一回のゲストに声をかけていただいたのはたぶん最近ブログを更新してたっていうのがあるんでしょうね。近頃なんでブログを頻繁に更新してるのかは、ドラクエ10が全職業レベルマックスになってやることがなくなったからポッドキャスト内で触れています。

LTSV も id:stanaka のポストをきっかけにブログを書いていたらなんだか盛り上がって ltsv.org に仕様と実装がまとまるような流れでした。ブログがきっかけでこういう動きができていくのが「なんか懐かしい感じ」と、宮川さんの感想。knife-solo についてブログしていたら開発者の方からバージョンアップのお知らせが届いたり、chef について書いていたら 2月22日の Engine Yard の勉強会で LT することになったりもしました。

たしかに、最近こういうのご無沙汰してたなあと思いましたね。しばらくプログラミングから遠ざかってたとか、Facebook とか Twitter とかで仲間内でちょっと話題にして終わりみたいなのに慣れすぎてしまってたという個人的な事情もありこういうWeb っぽいことって相対化はされてしまったんだろうけど、別になくなったわけではないですからね。

こうしてブログを書いていたら宮川さんから声がかかって・・・というのは昔を思い出します。少し自分語りをしましょう。

昔話

Shibuya.pm で初めて技術のプレゼンをしたときのこと。2003年9月のこと だからもう10年も前になります。

当時の自分と言えば、プログラミングを始めてまだ2年かそこらというところで足りないスキルに焦りを感じながら、WEB+DB PRESS を文字通り穴がが空くまで読んでは勉強する日々でした。その時自分が読んでたのが、宮川さんの Perl の連載でした。今のように、開発者本人とか記事を書いてる本人と簡単にツイッターなんかでコミュニケーションするようなカルチャーはまだなかった。宮川さんは、自分にとっては雲の上の存在でした。いや、今でも何ですけどね。

それがある日、突然 Windows Messenger (なつかし) に "Tatsuhiko Miyagawa" という人が現れて「ブログ面白いですね、Shibuya.pm で喋りませんか」と声がかかった。仕事が終わって家でパソコンに向かっていたときだった。その時もたぶん、Perl の勉強をしてたとかじゃないかなあ。あれはびっくりした。例えば好きな作家の小説を読んでネットに感想を置いたら、本人から面白いですねと言われた、そういう感じです。

Shibuya.pm では当時個人的にも仕事でも興味があって調べていた blog の実装周りのことをプレゼンしました。パワポ組み込みのデザイン丸出しなのが時代を感じる。 それが後日 ITmedia で記事になって、自分の名前がメディアに載る、という経験を初めてして、なんだか別の人の話みたいだという感想を持ったのもよく覚えてます。

その Shibuya.pm に、今はグリーの副社長で当時は CNET Japan の編集長だった山岸広太郎さんが来ていた。山岸さん自身はプログラミングはしないのですが、メディアをやってることもあって "Emerging Technology" に興味があった。で「naoya さんのブログいつも読んでますよ」「ええっ」というやりとりがあった。

当時の CNET Japan では梅田望夫さんが、英語で読むITトレンド というブログを連載していて、まだ Google という会社がどういう会社なのかよく知られていない頃に、シリコンバレーでは、Google ではこんなことが起こっている・・・ということを日々更新していた。まだ「ブログ」というものすら何かよく知られていない頃のレアな連載だったから、Webを仕事にしている人の多くが梅田さんのブログを購読していた。

まもなくして梅田さんが仕事でいったん日本に帰国するという機会があって、山岸さんから「梅田さんが来るから、会いにこない? 他にも何人か誘ってます」という連絡が来ました。恐縮しつつも行ってみたら、宮川さん、今のグリー社長のよっしーこと田中良和、Lingr の江島さん、小野和俊さん高林哲さん、後日はてなで一緒に働くことになった川崎裕一さん、とかが来ていた。自分以外のメンバーはもう当時から名のあるサービスを作っていたり、プロジェクトに携わっていたりして、知ってる人ばかりだった。高林さんの Unix Magazine への連載ももちろん読んでいた。

その場で、みんな自己紹介するわけですね。「楽天楽天広場を作っている田中です。最近はグリーというサービスを作っています」とか「namazu という検索エンジンを作った高林です」とか。でも、自分だけなにもなかった。しょうがないから苦し紛れに「ブログを書いてるものです」と自己紹介しましたw ブロガーww でもみんな自分のブログは読んでくれてたみたいで、なんとかあああの人ね、というくらいの感心は持ってもらえました。

自分のその後のキャリアを知ってる人ならわかると思うけど、その日の集まりというのは自分のこれまでの人生の中でもとても重要な日でした。数年後、日経BPに勤めていた id:ShigeakiYazaki さんに誘われて出た ITPro Challange というカンファレンスで ベンチャー志向プログラマというタイトルでそのときに受けた刺激について話しました。このプレゼンは、若い人に向けてするつもりで "オレの話" を盛り込みまくったら聴衆に matz とか id:hyoshiok とかがベテラン勢がいっぱいいて詰んだ。けど、江島さんは梅田さんの集まりで一緒にいたのでその様子が伝わったらしく刺さったみたいだった。ちなみにこの話があまりにもアレすぎるということで、naoya のスピリチュアルなプレゼンと話題にされたりもしました。まあなんていうの、そのぐらい感情的にプレゼンしたくなるくらい、興奮した一日だったということです。

宮川さんとは後日 Blog Hacks という本を書いた。また引き続き Shibuya.pm でよく発表するようになって、そこで近藤さんと知り合ってはてなに入ることになった。川崎さんとははてなで合流した。実は、はてなに入る前、その集まりで川崎さんが「おれはてなに入るよ、まだ受けてもいないけど。」と言ったので「じゃあ俺も」という冗談のようなやりとりをした。後日川崎さんが本当に入社したという話を聞いて「じゃあ俺もいかなきゃな」と思ったのでした。ご存じのように、田中さんと山岸さんは次の会社での自分のボスになりました。2010年に僕がグリーに行ったのは、その梅田さんの集まり当時グリーを作っていた田中さんからグリーのバックエンドの実装について相談されてほんのちょっと手伝ったことがあったのが大きかった。だからグリーのエントランスに飾られている初代サーバーには、僕のアカウントがあったはず。高林さんとは一緒にカンファレンスを開いたこともあるし、いまでも公私ともに仲良くさせてもらっている。小野さんとは昨年 Diablo 3 を一緒にやりましたw

とにかく、自分がただの新卒2年目のエンジニアだったところからその後の道が拓けていったのには、ブログを書いていたからというのがありました。それを公の場に一本釣りしてくれたのが宮川さんだった。その宮川さんと、またこうしてブログがきっかけでポッドキャストを配信したというのは、自分にとっては懐かしくもあり、自分自身を再起動する良い機会でもあった。

自分はブログで、Web でこういう経験をたくさんしてきた。だから、昨今は歩が悪くても、"オープンなインターネット"とか"古きよき Web" みたいなものをどうしても捨てられない。近頃若い人と話すと「インターネットで不特定多数の人に何かを公開するとか、よくわからない」とか「インターネットは友達とつながって、分からないことがあったら調べるツールとして便利です」とかそんなことを言われる。その辺の、感覚、期待感がまるで違ってきている。だからたぶん、またあの古いやつが昔話をしているぞと後ろ指をさされることにはなるんでしょう。まあでもそういう人が、少しはいたっていいじゃない。

「ブログ de 人生」とか「ネット de 真実」とか、そういう経緯と結果、手段と目的が逆転したようなことを他人に押しつけようとは思わない。ブログを書いてれば人生いいことがあるよ、とか言わないです。インターネットは別に誰かの人生を充実させるのが主目的の道具ではない。自分がブログを始めたきっかけなんて、当時の職場の上司に「伊藤君、ブログって知ってるか?」って声をかけられたのがきっかけで、その後にそんなことが起こるなんて全く思ってなかったわけだし。道具は道具なんです。

けれども、その道具がなければ今ここにいなかった人間というのがここにいるし、そういうことがこれからもたくさん起こっていけばいいということは本当に心から思っています。

以上、デブサミ2013 会場の控え室より。もうこんな昔話はしないぞ!