ルールが一人歩きする

おそらく多くの人が、一人歩きしたルールのおかげで歯がゆい思いをした、という経験があることかと思います。

以前に id:jkondo が CNET で、ある図書館のエアコンの温度設定を具体例にした組織論を書いてました。この図書館には僕も一緒にいたのですが、まさにルールが一人歩きした具体例だなと思います。

図書館の話というのは、

  • 今年の夏、猛暑の日、館内が蒸し暑い
  • 館内のエアコンがあまりきいていないようだ
  • 周囲の人はみな、汗だくになりながら本を読んでいる
  • そもそも暑いのは、クールビズで28度設定に、というルールからっぽい
  • 冷房をもう少しきかせてくれとお願いしても、いろいろ理由を聞かされて叶わない

といった出来事です。

家でエアコンを28度に設定した場合だと、まあいつもよりは冷えてないけど、本を読むだけで汗を吹いたりはしないわけで、明らかにこの図書館のエアコンはききが悪かった様子でした。ですが、ルールは「エアコンを28度設定に」であって「室温を28度に」ではなかったので、みんなが暑い暑いと思いながら本を読んでいても、エアコンの温度が下げられることはなかった、という結末でした。みんなが汗だくになってる図書館、かなり滑稽な様子でした。

こういう時には、そもそもそのルールはなぜ作られたのか、というのを考える必要があって、このエアコンの場合は「エアコンなんてのは冷え冷えにしなくっても十分、電気や環境のこともあるしすこし温いぐらい、28度ぐらいにしましょうね」って考えられるといいんでしょう。それは多分、子供でもわかります。でも、一度ルールが一人歩きをしはじめると、大の大人でも、思考が停止してしまって、そのルールを守るために必死になってしまうようです。

組織に関して言うと、組織は大きくなればなるほどルールが必要ですが、組織が大きいほどルールを変更するのにエネルギーが必要だったり、大きな抵抗勢力があったりします。そんなわけで大きな組織では、ルールの廃止や訂正が難しいがために、ルールが一人歩きをはじめやすいようです。成果物のラインナップのためだけに必要な「誰にも読まれない仕様書」とかつじつま合わせのためだけに存在する「まともにテストされていないテスト成績表」なんてのはその産物かもしれません。学校の校則などにも、そういった具体例は多そうです。

僕自身、ルールや常識、前例があるがゆえに思考停止に陥っているパターンは多いと思います。開発の仕事をしてると、そういうのに出くわす場面がよくありそう。そういうときに「なぜ?」までを考えることを忘れないようにしたいこのごろ。

ところで、ゲームや映画はあまり「なぜ?」を考えないほうが楽しめる場合が多かったりします。映画の一場面で、自然法則の破綻や普通はありえないルールを目にすると「ウゲー」と思ったりしますが、そこでウゲーと思ってない人は映画を楽しみ満足を得ることができて、一番得をするわけです。ゲームも、「ここはこういう風に動いて欲しいからこういうシナリオなんだな?」とかあまり開発者の意図とかを深読みせずにのめりこんだ方が楽しめそうです。